(更新: 2026.03.31)

妻が肝硬変と診断された日 – エンジニア夫が決めた3つのこと

妻が肝硬変と診断されたのは、今からちょうど1年と少し前のことだ。

「肝硬変」という言葉を医師から聞いたとき、頭の中が一瞬止まった。肝炎は知っていた。肝臓に負担がかかっているとも聞いていた。でも「硬変」という言葉には重みがあった。肝臓の細胞が壊れて線維化が進んでいる状態で、完全には元に戻らない——そういう病気だと後から理解した。

妻はその場で泣いていた。私はうまく言葉が出なかった。「大丈夫だよ」と言った気がするが、正直何を言ったか覚えていない。

診断を受けた日から、私がエンジニアとして・夫として決めた3つのことを書く。

1. 情報を徹底的に集めた

帰り道から始めた。

「肝硬変 原因」「肝硬変 治療」「肝硬変 予後」「肝硬変 進行」——スマートフォンで検索しながら家まで帰った。電車の中で、妻は窓の外を見ていた。私はひたすら読んだ。

家に帰ってからはパソコンの前に座って、医学論文を読み始めた。英語の論文も読んだ。PubMedで検索して、DeepLで翻訳して、理解できるところだけを拾った。

エンジニアの習性かもしれないが、わからないことに直面したときに最初にやることは「調べる」だ。感情を処理する前に、まず情報を集める。

調べてわかったことは、肝硬変には段階があること。代償性と非代償性があり、今の妻はまだ代償性の段階で、適切な治療と生活管理で進行を大幅に遅らせることができる、ということだった。

「可能性がある」という情報が、その夜に一番必要だったものだった。

翌週、妻の主治医に改めて質問リストを持参して面談した。疑問点を全部紙に書き出して、一つ一つ聞いた。医師は丁寧に答えてくれた。「情報を集めようとする姿勢は良いことです」と言ってもらえた。

2. 在宅ワークに完全移行した

診断から2週間後、在宅ワークへの移行を決めた。

当時は週3〜4日は出社していた。妻の体調は「毎日安定している」わけではなく、しんどい日と比較的動ける日の差がある。病院への付き添いも月2〜3回は必要になる。出社日に「今日はしんどい」という状況が来たとき、何もできないもどかしさが想像できた。

幸い、私の仕事はリモートで完結するものが多かった。当時は会社員として働いていたため、会社に状況を話して、フルリモートに切り替えることを認めてもらった。現在は個人事業主として完全リモートで働いている。

最初は「生産性が落ちるんじゃないか」と不安もあった。でも実際には、自宅で仕事をしながら妻の様子を確認できることの安心感の方が大きかった。妻も「近くにいてくれるだけで違う」と言っていた。

今は完全にリモートワーク中心の生活になっている。外出が必要なミーティングは年に数回あるかどうか。その分、妻のそばにいられる時間が増えた。

3. 生活を根本から見直した

肝硬変の進行に関係する生活習慣の要素は複数ある。食事、睡眠、飲酒、ストレス。医師からも指導を受けたが、「管理するのは本人の意志だけでは難しい」と思った。

環境を変えることにした。

食事: 肝臓に負担の少ない食事に切り替えた。塩分、脂質、アルコールをほぼゼロにした。私自身も一緒に同じものを食べることにした。「妻だけ違うものを食べる」状況を作りたくなかった。最初は「美味しくない」と思う日もあったが、半年経てば慣れた。

飲酒: 私もほぼやめた。家にアルコールを置かない。外食したときも飲まない。友人との飲み会は妻の体調を見ながら、月1回程度に減らした。「飲みに行く時間」を「一緒にいる時間」に充てた方が価値があると思った。

生活リズム: 妻が疲れやすい体質になったため、夜は早く寝るようにした。私も一緒に早寝早起きになった。朝5時台に起きて、妻が起きる前に仕事を少し進める生活が今の標準になっている。


あの日から1年以上が経った。妻の状態は大きく悪化してはいない。定期的に検査をして、数値を医師と一緒に確認しながら、今の状態を維持することに集中している。

「辛くないのか」と聞かれることがある。辛くないといえば嘘になる。でも、できることをやり続けることが、今の私にとっての答えだ。

情報を集める。そばにいられる環境を作る。生活を一緒に変える。エンジニアとして夫として、この3つだけは続けていく。

まとめ

妻が肝硬変と診断された日に決めたこと:

  1. 情報を徹底的に集めた — 病気を知ることで、できることが見えてくる
  2. 在宅ワークに完全移行した — 物理的にそばにいられる環境を作る
  3. 生活を根本から見直した — 本人だけに管理を押し付けず、環境を変える

診断を受けてからの日々は、正直なところ簡単ではない。それでも、どう動くかを決めることで、少し前を向ける気がしている。