技術記事を書くことが最高のアウトプット学習である理由
「アウトプットが大事」とよく言われる。
私もずっとそう聞いていたが、正直なところ、しばらくの間は「そうですね」と言いながら実感が持てないでいた。インプットばかりしている自分に少し後ろめたさを感じながらも、「まだ書けるレベルじゃない」という言い訳を心の中でしていた。
転機は、試しに書いてみたときだった。
書こうとすると「わかっていない」ことがバレる
最初に書こうとした記事は、Pythonの非同期処理についてだった。
「async/awaitの使い方」というテーマで書き始めたところ、序文の2段落を書いたところで手が止まった。「async と await の違いを、自分の言葉で説明できない」ことに気づいてしまったのだ。
ドキュメントを読んでコードは動かせる。しかし「なぜこう書くのか」「内部で何が起きているのか」を人に説明できる形で言語化できない。
これがインプットだけの限界だと知った。
本を読む、チュートリアルをこなす、コードを動かす、それだけでは「わかった気」になれる。でも、人に説明しようとした瞬間に穴が露わになる。
書くことで知識が「自分のもの」になる
記事を書く作業には、いくつかの認知プロセスが絡む。
まず、構成を考える段階で知識を整理しなければならない。「序論→概念説明→実例→まとめ」という流れを作るには、知識をある程度体系的に理解していないと書けない。
次に、例を考える段階で実践的な理解が試される。「具体例を挙げてください」に答えられなければ、概念理解が表面的だということだ。
最後に、誰かに読まれることを意識した文章を書くことで、「相手が知らない前提」から説明するという訓練になる。これが教えることの本質でもある。
私は講師業もしているので、この感覚は授業準備でも感じている。知らない人に教えようとすると、自分の知識の解像度が上がる。記事執筆も同じ構造だ。
「完璧に理解してから書く」は幻想
かつての私の言い訳は「まだ書けるレベルじゃない」だった。
しかし、その「書けるレベル」はいつ来るのか。答えは「書かないと来ない」だ。
今の私は、「7割理解したら書く」ことにしている。残りの3割は書きながら調べるし、その調べる過程でさらに理解が深まる。記事の途中で「あれ、これって本当にこうだっけ?」と疑問が湧いてくることが、学習の入口になる。
完璧に理解してから書こうとすると、永遠に書けない。不完全でもいいから書くと、不完全な部分が明確になって、そこを埋めようとする意欲が生まれる。
副産物として「検索できる自分メモ」ができる
記事を書き続けることで、もう一つの副産物ができる。
過去の自分が詰まったことを、未来の自分が検索できる。「あのエラーどうやって解決したっけ」と思ったとき、自分の記事が一番役に立つことがある。自分の言葉で書いてあるから、文脈も頭に入りやすい。
在宅ワーク中心の私の場合、Slack に質問できる同僚がすぐ近くにいない。だからこそ、過去の自分の記録が財産になる。
完璧じゃなくても、今日書けることを書く
技術記事を書くことへのハードルは、思っているより低い。
「誰でも知っていることを書いても意味がない」と思う必要はない。自分が1週間前に知らなかったことを、1週間前の自分に向けて書く。それだけで価値がある記事になる。
私はこのブログを通じて、自分の知識を整理することを習慣にしている。書くたびに「ああ、自分はここまでわかっていたのか」と確認できる。それが積み重なると、自分の成長を可視化できる。
インプットと同じだけアウトプットする。それだけで、エンジニアとしての成長速度が変わる。私はそう確信している。