妻の闘病で学んだ「優先順位」の話
数年前、妻が体の不調を訴え始めた。
最初は「疲れているだけだろう」と思っていた。私は当時、仕事が忙しい時期で、「大丈夫、休めば治る」という言葉を繰り返していた。
でも、良くならなかった。検査を重ね、通院が増え、生活に制約が出てくる中で、私は初めて自分の優先順位を問い直すことになった。
「仕事が一番」という無自覚の前提
それまでの私は、仕事に多くの時間とエネルギーを注ぎ込んでいた。
在宅ワークになってからは特に、仕事と私生活の境界が曖昧だった。21時に夕食を終えてもパソコンを開き、「あと30分だけ」と言いながら日付が変わる。妻が話しかけてきても「今ちょっと作業中」と目を画面から離さない。
それが悪いことだとは思っていなかった。稼ぐことは家族を守ることだ、という論理で自分を納得させていた。
妻の体調が悪化していく中で、私は「作業中」を言い続けていた。今思えば、恥ずかしい話だ。
「一緒にいる」ということの意味
病院の付き添いをするようになって、初めて「一緒にいる」ことの重さを実感した。
検査の結果を待つ時間、医師から説明を受ける瞬間、帰りの電車の中での沈黙。そこに自分がいることで、妻が少し楽になるということを知った。
コードを1行も書かない日があった。タスクが積み上がる日があった。でも、それよりずっと大事なことをやっていた。
「何を大切にするか」は、普段の自分のスケジュールを見れば一目瞭然だ。私のスケジュールは、仕事とコードと個人開発で埋まっていた。妻のための時間は、残り物だった。
その事実と向き合うのは、少し痛かった。
仕事は「再スケジュール」できる
一つ気づいたことがある。
仕事のタスクは、ほとんどの場合「後でできる」。締め切りを延ばせるものもあるし、優先度を下げれば問題ないものも多い。
でも、人と過ごす時間は「後でできる」とは限らない。特に、体調が安定しない家族と過ごせる時間は、いつでもあるわけではない。
「今やらなければ」という焦りで動いているとき、実はその「今」が本当に今でなければならないものは少ない。仕事のほとんどは、1日2日遅れても大きな問題にならない。でも、一緒にいることを後回しにした日は戻ってこない。
これは当たり前のことだが、日常の中で実感するのは難しい。私は妻の闘病を通じて、初めて実感できた。
キャリアへの影響と、それでもいいという判断
率直に言う。あの時期、仕事のパフォーマンスは落ちた。
個人開発のプロジェクトは止まった。副業の作業時間も減った。キャリアという観点では、「もったいない時間」があったかもしれない。
でも、後悔はない。
妻が回復に向かう過程で、私が隣にいたことが、妻にとって意味があったと感じている。それは数字で測れるものではないが、私が大切にしたいものだ。
仕事はいつでも再開できる。技術は学び直せる。でも、あの時期に妻のそばにいた時間は、他の何かと交換できるものではなかった。
「優先順位」は言葉ではなく行動で決まる
この経験から学んだことは、一つだ。
「家族が大事」と言うのは簡単だ。でも、毎日の行動が「家族より仕事」を示していれば、それが本当の優先順位だ。
私は今も、自分の行動を定期的に振り返る。今週、妻と話した時間は何時間あったか。仕事のことを考えていない時間は作れたか。
完璧にはできていない。それでも、意識することで少しずつ変わってきた気がしている。
エンジニアとしての成長も、キャリアの向上も大切だ。でも、それが誰かとの時間を犠牲にして成り立つなら、私は少し立ち止まりたいと思うようになった。
妻の闘病は、私に「何のために働くのか」を考えさせてくれた。それは今も、私の軸になっている。